About Keiichi Moto

Written by Shosei Sato

About Keiichi Moto
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経営者と写真家の二つの顔を持つ 元圭一

・写真との出会い
社会に対する漠然とした反骨精神があった彼は
当時は社会の勉強も就活もしていなかった。
不安と割り切れない感情に苛まれていたと言う。
「みんなと同じルートでいいのか?」「自由に生きることはダメなのか?」と我に問い
その思いから在学中バックパックで世界を回ることとなる。

旅では様々な感情を抱き、帰省後に
大学の募集で広島市内の写真館を目にする。
「それまで全く出会いのなかった写真というキーワードにビビッと来た」
「とりあえず、やり続ければ人よりは上手くなれるだろう」と語る。
まだ何も持っていなかった彼が一芸を身につけようと思い
まさに写真というものに出会った瞬間であった。
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・操上和美

写真という仕事は彼にあっていた。
しかし、写真館の写真は、お決まりで
ただの業務になってしまうのが憂鬱で
業務外でも作品展を行ったり、
ファッションフォトや広告写真を勉強していた。

そんな時コマーシャルフォトで数々の写真家
特集があるのを目にする。

技術や、仕事の話が描かれた記事に一人だけ
“内面の話”をしている人がいた。
操上和美だった。


この人に会いたい、東京で仕事がしたい
という思いとかつてより抱いていた自由に生きる精神を胸に上京する。
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その後の彼は順調そのものだった。
上京して間もなく操上さんの事務所に連絡
偶然にもアシスタントを募集しており
作品を見せ、白金の事務所で面接を受けることになる。

操上和美本人を前にし、面接が行われるが、
飾ってあったミックジャガーのポートレートや
ローリングストーンズの話題で盛り上がり、
意気投合。
極め付けは、向こう見ずの彼は給料の話を持ち出し
操上さんの笑いを誘ったという。

後日、知人と飲んでいた彼に一本の電話がかかり
合格の通知を受ける。
飛び上がって喜び、この時は人生で一番有頂天になったと語る。

それもそのはず。
通常のルートでは東京でスタジオに入り、
スタジオマンとして名を挙げ、
実績を積み、オファーがあって初めてアシスタントになれる。
この正規のルートを無視して操上和美のアシスタントになったのであった。

いうならば、中学生が飛び級で東大に入るようなものだ。
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・アシスタント時代

ここから壮絶な人生のナラティブが始まる。
当時はアシスタントととしての経験が乏しく
右も左もわからなかった彼は、兄弟子から
仕事内容や所作を叩き込まれたと語る。

過去のライティングのファイルを
夜な夜な残って見返しアシスタント、弟子として邁進した。
写真の勉強は吝かではなかった。
こうして写真に生きる元圭一の素地を作ることとなった。

操上さんの「生きるとは重力との戦い」という格言
を指針に3年の時を経て、操上和美の元を出る。
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・カクタス

それから数年後の2006年に株式会社カクタスを創設。
30歳にして独立を果たす。

創設当時は
「東京でデビューしたかったが
広島でデビューするしかない状況で
操上さんの時は大きな仕事をしていたから
小さい仕事が嫌だった。
その尖った思いをカクタス(サボテン)に込めた」と語る。

また、尖った者の集まりであったことからも
そのような意味が込められている。

しかし、その思いとは裏腹に
月90本を超える仕事をこなし、
あらゆるお仕事受け、社会に貢献してきた。

この時の彼の反骨精神は、
以前に感じていたものとは違うものであるうだろう
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・ライフマーケット

6年後、2013年株式会社ライフマーケットを設立。

当時は「仕事に没頭して、毎日のようにロケに出て家庭も顧みず、
そんな自分が嫌で、色々逃げ出したかった」と言う。

そんな時彼が目にしたものは、あの凄惨な未曾有の天災3.11だった。
巨大な津波に飲み込まれる、皆がものすごく頑張って作り上げてきた
街が、文化が、人が、無に返す。
「なんなんだろう。」まさにその一言だ。

彼が同時期にヒマラヤに行ったときの話だ。
「いい写真は撮れるけど、結局行かないと分からない」
「ファインダーの外側にあるものを提案したい」
現地に足を運び、趣くままに見て感じて、知性を慣性を育む。
そんな体験ができるモノコトを提案したい。
この気持ちと、3.11を目にして感じた気持ちがリンクし、

ライフマーケット設立に至る。
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・ライフマーケットハーバークラブ

毎月1000人もの集客したハンバーガーショップ、
ライブやブライダルなどの様々なイベントにおける最高な空間の提案。
多面的に多様的にファインダーの外にあるモノを
メッセージ出来たのがハーバークラブだった。

写真業と並行しながら、このハーバークラブを運営。
彼にとってこの経験値が、とても特別なものになった。
2017年3.11から2020年3.11これが現在のライフマーケットまでの前日譚である。
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・現在

「ハーバークラブを作っても、最初は結局形だけで
空っぽな箱でしかなかった。ただのハリボテ。形には心はない。」

「でもそこに若い活力のある従業員が入ってきたことで
血が通い、その人たちの表現と一緒に作っていく事ができる。」

「そうしたことで形から、マインドになる。
コアの部分の理念が通っていれば
表現の形を変えてもそれは時代によって柔軟に変えていければいいと思う。」

と語った。

「あとは入ってきてくれた人たちが
ライフマーケットというものを作ればいい」

そんな人生で壮絶な経験をしてきた彼は、彼のエゴを押し通すこともなく、
今の従業員にライフマーケットを託すのであった。
それこそがライフマーケットだからであるのではないだろうか。
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・デフォルトの意識

「デフォルトと言われるものは最初からデフォルトじゃなかったはず」

「例えばダナーなら、ダナーライトがデフォルト
ダナーという会社が想像もできないほどの努力で作りあげた洗練されたもの、
デフォルトと言われるものが生まれるまでに
とてつも無い労力と緻密な時間がかけられている。
つまりデフォルトは0→1でデフォルトは1番クリエイティブなものだ。
いつだっておれは0→1のものが好き」

0→1を作りたい、究極の1をつくりたい、
もはやそこにしか興味がない」


「そしてライフマーケットという形が完璧な1になればいい
これが軸になれば派生していって、掛けるのか足すのかをして
後世で1→100にして行ってもらいたい。」
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・今後の元圭一としての目標

「ライフマーケットという生き方をしたい。そして社会的役割を考え、
仕事だけではない生き方の良さを提供し続けたい。」

この15年かかってやっと今スタート地点に立ったと
物語は終わりを迎えたのではなくこれからだと彼は話す。
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・最後に[写真とは]

「その時その時によって変わるもの」

「若い時は杖、二本足で立てないから途中から武器であり道具の時もあった今は自分自身」

元圭一にとって写真とは形状と意味を変え彼に寄り添っていた、言うなれば元圭一の脳味噌だろう。

振り返ってみるとどうだろう。彼の人生も常に形を変えてきた。

彼は写真というフレームの中だけではなく、物事を俯瞰して大きな枠で捉え、柔軟に変化し続ける。
経営者でも写真家でもなく、ずっと元圭一だったのだ。

そして彼もまた、このインタビューも"内面の話"だけなのである。
May 20, 2021
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